2014年10月21日

裁判員裁判で遺体のイラスト使わないらしい

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裁判員に配慮、地裁が遺体のイラスト提出認めず(YOMIURI ONLINE 2014年10月21日)
 東京地裁で今月28日から始まる傷害致死事件の裁判員裁判に向け、検察側が被害者の遺体のイラストを証拠請求したところ、地裁が認めなかったことが分かった。

 検察側の異議申し立ても21日、却下した。被告は痩せ衰えた母親に暴行し、死亡させたとして起訴されており、地裁は裁判員の精神的負担を考慮したとみられるが、視覚的な証拠なしに裁判員が犯行の凄惨(せいさん)さに関してどう判断するのか注目される。

 事件は今年1月に東京都中野区で発生。自宅で母親(当時64歳)の背中を蹴るなどして死亡させ、傷害致死罪に問われた無職N.M被告(39)は起訴事実を認める見通しで、犯行の悪質さなど情状面が争点になる。

 関係者によると、母親は入退院を繰り返し、事件当時、かなり痩せた状態だったという。検察側は、こうした被害者に暴行を加えた残虐性を立証するため、公判前整理手続きで、裁判員に与えるショックが写真より小さい遺体のイラストを証拠提出しようとした。

 しかし、地裁は「イラストでも負担は大きい」として採用せず、証人尋問などで代用するよう求めた。検察側は被害者の体重を説明したり、解剖医の尋問で死亡時の状況を示したりして立証することになる。

遺体の写真もイラストもダメか〜。
そういうのを見せた方が事件がよく解ると思うんですが。
逆に解りにくいのでは?
まあ、管理人は裁判員を辞退したいので関係ないですが…。
単なる傍聴する方はもっとつまらないのでは?

まあ、傍聴人がつまんないと思ってることなんて考えなくていいんでしょうけど。。。orz




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2014年10月11日

今年も裁判員の名簿が作成されたぞ

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11月12日,裁判員候補者名簿に登録された方に名簿記載通知を発送します。なお,引き続き,裁判所を騙った不審な電話・郵便・メール等にご注意ください。(裁判員制度HP 2014年10月10日)
 全国の地方裁判所では,選挙管理委員会から送付された裁判員候補者予定者名簿に基づいて裁判員候補者名簿を作成し,11月12日,最高裁判所名入りの封筒で裁判員候補者名簿に登録された方に「裁判員候補者名簿への記載のお知らせ」(「名簿記載通知」ともいいます。)等を発送します。
 裁判員候補者名簿に登録された方には,11月13日ころから封筒に入った名簿記載通知等(詳しくは,名簿記載通知についてのコーナーをご覧ください。)が届きますが,この段階では名簿に登録されただけであり,すぐに裁判所にお越しいただく必要はありません。
 また,裁判所にお越しいただく時期は,平成27年2月ころから平成28年2月ころまでを想定していますが,その際には,裁判所にお越しいただく日の約6週間前に改めて文書でお知らせします(裁判員に選ばれるまでの手続の流れについては,裁判員の選ばれ方をご覧ください。)。
 なお,裁判員候補者名簿に登録されたことを,ハガキやメール便,電話,電子メール等で裁判所からお知らせすることはありません。「名簿記載通知について」のコーナーで紹介している写真(詳しくは,裁判所からお送りする封筒と名簿記載通知及びその同封物についてをご覧ください。)以外の郵便物が届いた場合や不審な電話・メール等にはくれぐれもご注意ください。
 裁判員制度は,国民のみなさんのご協力がなければ成り立たない制度ですので,みなさんのご理解とご協力をお願いします。

※ 裁判員候補者名簿に登録されたことを公にすること(インターネット等で公表するなど,裁判員候補者になったことを不特定多数の人が知ることができるような状態にすること。)は法律上禁止されていますので,ご注意ください。

今年もこの時期がやってきましたね〜。。
毎年、この季節になると憂鬱になっちゃいますね。
「今年も当たりませんように」(-人-)祈

名簿に登録されるのは各選挙管理委員会の選挙人名簿からなので、これだけは逃れられませんね〜。
今回、名簿に登録されたら来年2月から再来年2月までに裁判員に選任されるかもしれません。

に、逃げろ〜っ!!1bankozou.gif

もし、やる人も冷静に。
辞退する方も冷静に。

やはり、やるのか辞退するのかを決めとくのがいいかと思います。
それから、家族の協力と理解を得られた方がいいのかな、と。

side-it


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2014年07月14日

オウム菊地被告の裁判、懲役5年判決

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<Yahoo!ニュース><オウム菊地被告>裁判員3人「難しい事件も判決には納得」(毎日新聞 2014年6月30日)
 オウム真理教による東京都庁爆発物事件(1995年5月)で爆発物取締罰則違反と殺人未遂のほう助罪に問われた元信者、菊地直子被告(42)の裁判員裁判。30日、東京地裁は殺人未遂ほう助罪で菊地被告に懲役5年(求刑・懲役7年)を言い渡した。判決後、裁判員を務めた3人が東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見し「難しい事件だったが、判決には納得している」などと2カ月に及んだ公判を振り返った。

 公判では、難解な化学用語が飛び交い、元信者らの証言は記憶の薄れもあって度々食い違った。男性裁判員(22)は「化学的説明は分かりやすかったが、証言をどうつなぎ合わせれば真実にたどり着けるのか難しかった」と語った。裁判員が初めて東京拘置所に出向いて死刑囚を尋問したことについて、別の男性裁判員(33)は「(法廷で尋問した)他の死刑囚と変わらず、答えてくれた」と述べた。

 オウム事件から19年の年月がたち、風化も指摘されているが、30代の女性裁判員は「目的に向かって突き進む危険な集団というイメージがあった」とし「(誰でも)ふとしたきっかけでこうなってしまうことがあるのかと考えた」と語った。

 初公判と同じグレーのスーツ姿で出廷した菊地被告は微動だにせず、判決に聴き入っていた。裁判員らは「自分のやったことを見つめ直し、社会に復帰してほしい」と話した。

>「自分のやったことを見つめ直し、社会に復帰してほしい」
…何だかこれ、他の裁判員裁判でも同じことを聞いたような気がします。
やはり事件は風化するもんだね。
裁判員さん、長い間おつかれさまでした〜。
被告が殺人用の薬品だと認識しているか否かが争点だった裁判、どうやら「認識していた」と判断されたようでした。
しかし、裁判員裁判の限界を指摘する声も

<Yahoo!ニュース>【オウム裁判】論理は飛躍し、オウムの特異性は置き去りに〜菊地直子への判決(江川紹子 2014年7月1日)
 都庁爆弾事件で爆薬の原料を教団アジトに運んだとして起訴されていたオウム真理教元信者の菊地直子被告に対する東京地裁(杉山愼治裁判長、江見健一裁判官、戸塚絢子裁判官)の判決は、懲役5年(未決勾留日数中400日算入)の実刑となった。検察側の求刑は爆発物取締罰則違反(以下、爆取)と殺人未遂罪のいずれも幇助罪で懲役7年だった。一方、弁護側は使用目的を知らなかったとして、無罪を主張。それに対して、判決は爆取は成立しないとしたものの、「関与は消極的ではない」として、殺人未遂での責任を厳しく認定した。

爆取は認定せず
被害者は片手の指を全部失うなどの重い後遺障害を負ったことを考えれば当然、と考える人もいるかもしれない。実際、材料がなければ、事件は起こせなかったわけであり、彼女はその結果に対して道義的責任を負う。事件とは真摯に向き合わなければならない。

ただ、事前に使用目的を知らずに、ただ言われたものを運んだだけだとすれば、刑事責任を問うことはできない。実際、今回の裁判では、彼女は中川智正死刑囚の指示で自分が運んだ薬品で爆薬が作られ、井上嘉浩死刑囚らが爆弾を作ることまでは認識していなかった、と認定した。

では、なぜ殺人未遂の方は有罪になったのか?

判決の論理展開はこう行われた
判決は、いくつかの事実から「推測」や「推認」を重ね、次のように論理を飛躍させながら、菊地の内心を推し量っている。

*中川が薬品を至急必要としていると、菊地は認識したはず。
*薬品の量が多い。

☆中川は薬品を隠すために運ばせたのではなく、使用する目的があり、何らかの化合物を大量の製造する意図があると、菊地は認識した。

★井上らが大量合成した物を用いて何らかの活動をしようとしていることを、菊地は察したはず

*薬品のラベルに硝酸98%や劇物の記載もあった

安全な物を作るとは考えにくい。

★★危険なものがありうると認識し得る

そして、★や★★から、以下のように「可能性」を導き出す。
〈井上らの活動に伴って人の殺傷が生じ得ることも想起することが可能である〉

「危険なもの」にもいろいろあるが、ここでいきなり「殺害」の可能性が飛び出す。ただ、そういう連想も成り立ちうるという程度。「生じ得ることも」「想起することが可能」と、二重に曖昧化された「可能性」に過ぎない。しかも、果たして菊地被告の内心で、実際にそんな「可能性」が「想起」されたのか、まったく検討されない。
にもかかわらず、一気に以下のような結論へと突き進む。

「可能性」がいつの間に「事実」へ格上げ
〈被告人は、井上らが行う活動は、社会の中で事件を起こすことであって、その際に人の殺傷を伴うことがあり得ると認識した〉
いくつかの事実から菊地の内心を「推認」し、そこから曖昧模糊とした「可能性」が膨らみ、最後には菊地被告が現実に「認識した」という「事実」に格上げされてしまった。

このやり方で人の内心を推し量れば、「ない」認識を、いくらでも「あった」ことにしてしまえるのではないか。こうした論理展開に使うための細々した事実は、裁判官たちが拾い出し、裁判員たちに提供したものだろう。

それができれば、オウムを辞めている
オウムこそ毒ガス攻撃の被害者とする教団ビデオで語る菊地被告
そのうえ、この判決ではオウム真理教の狂気、組織の特殊性、信者の特異な心理状態が、そっくり置き去りにされていた。

判決では、同僚の女性信者から、2人の上司だった土谷正実死刑囚が、サリンを分析していたことを伝えられた時に、菊地被告は教団と地下鉄サリン事件の関連について「疑念を抱くはず」とした。事件に関与してないと信じているなら、その情報に驚いたり、土谷が分析していた時期を「確認するはずである」という。そういう反応がないからには、すでに教団の関与を疑っていたと、認定した。

ここにも、論理の飛躍があるが、それはさておく。

1つ指摘しておかなければならないのは、そんな風に、自ら疑問を抱き、自発的にそれを確かめることができる状態であれば、彼女は早々に教団を離脱していただろう、ということだ。それができないからこそ、「オウムこそ毒ガス攻撃を受けている」という突拍子もない教団の説明を信じたり、言われるままにずるずると薬品運搬に携わってしまったのだ。

オウムでは、上からの指示は絶対正しく、疑問を持つことは御法度。それに慣れた信者たちは、実行する手段は考えても、指示そのものの是非や教団の行動の評価については考えることはないのが常だった。
判決後の記者会見に出席した裁判員は3人。
ところが今回の裁判では、”普通の事件”として裁かれた。判決後に会見に応じた裁判員の一人は、元信者の証言を聞いて「普通の人とあまり変わらない」との印象を受けた、という。それは、脱会から歳月が経っているためかもしれない。ただ、教団についても「一つの会社みたい。ちょっと違えば、社会貢献ができただろうに」と述べたのには驚いた。裁判の中では、教団の特異性、信者の思考停止状態について、裁判員にはほとんど何の情報も提供されていなかったので、無理もない。

裁判員の中には、事件当時幼かった人もいる。そうであれば、丁寧にオウム事件の特色や傾向について情報を伝えるべきだろうが、審理の迅速さが求められる裁判員裁判ではそれもままならない。

その一方で裁判所は、検察の求めに応じ、事件と無関係の元信者を次々に呼んだ。事件関係者は2人だけなのに、5人の無関係の信者が出廷した。これ自体、かなり偏った訴訟指揮、と言わなければならないだろう。呼ぶのであれば、アジトに滞在したり出入りしていた元信者を呼ぶべきだった。それをしなかった裁判所の意図は図りかねる。

被告人の反省のためには
菊地被告は、判決を不服として、その日のうちに控訴した。当然だろう。

有罪判決、とりわけ実刑の場合は、被告人に一定の納得を与えることは重要だと思う。有罪判決を受けた者に対しては、社会は刑務所の中で償いをすると共に、反省を深めたり、二度と犯罪に関わらない誓いを期待しているだろう。ところが、判決にまったく納得できないとすれば、そういう反省や悔悟のプロセスに入ることはできない。それどころか、自己憐憫や被害者意識が膨らみ、事件を向き合うこともできないのではないか。それが気になる。

また、一昨年に捕まった特別手配犯3人のうち残る高橋克也被告の裁判は、公判前整理手続に時間がかかり、実際の裁判は来年になりそうだ。彼の場合、地下鉄サリン、假谷さん拉致事件やVX殺人など、重大事件への関与が多く、死刑求刑の可能性がある。それを考えればなお一層、教団の本質に迫る丹念な審理が必要だ。迅速性よりも、中身の濃い裁判にしていかなければならない。果たして裁判員裁判が適切なのか、裁判所の訴訟指揮はいかにあるべきか、今一度検討してもらいたい。

本当に反省するためには、被告人が納得いくような裁判をしなければならないということですね。
そのためには、裁判員裁判だと限界がある、と。

劇物だとラベルに書いてあるから、殺人する可能性がある。
なのに加担するのはおかしいだろ、だから懲役5年!

みたいに判断するのは被告のためならず、みたいなことを言ってんのかな〜。
文章が読めなくてゴメンナサイ。。m(_ _)m

次に、北原みのりさんの裁判傍聴記です。
<Yahoo!ニュース>北原みのりの菊地直子裁判傍聴記 「じゃ、行こうか」で17年逃亡〈週刊朝日〉(dot. 2014年7月3日)

 1995年に起きた東京都庁の郵便小包爆発事件に関与したとして、殺人未遂幇助(ほうじょ)などで起訴された元オウム真理教信者の菊地直子被告(42)。その裁判員裁判が、6月30日に判決を迎えた。公判を通して見えてきたものとは? コラムニストの北原みのりさんが傍聴した。

*  *  *
 2012年6月、17年間逃亡し続けたオウム真理教元信者、菊地直子が逮捕された。

 逮捕時の写真が公開された時、指名手配写真とのあまりの違いに驚いた。「別人じゃん!」と叫んでしまったが、それくらいにこの17年間、この人の顔は街の景色の一つと化していたことに改めて気がついた。

 風景のように知っていた「菊地直子」という人について、それでは、私は何を知っているのだろう。

 松本智津夫をはじめ、オウム真理教の幹部たちはほぼ全員、刑が確定している。菊地直子の裁判によって、新しい事実が出てくることはないだろう。それでも、地下鉄サリン事件から19年にして、そして特別手配犯が全員逮捕された今であっても、オウム真理教が引き起こした事件が、「過去の事件」として清算されているとは思えない。

 松本智津夫に帰依し続ける宗教団体Alephは信者数を伸ばしているといわれ、オウム真理教の被害者への賠償は滞っており、さらに95年当時1万2千人いたといわれる元信者たちに対する偏見や差別は未だに根深い。

 今回、菊地の裁判について、元出家信者の女性(当時は20代半ば、以下Mさん)に話を伺った。彼女は菊地の逮捕について「他人ごととは思えなかった」と語った。事件に直接関わっていなくても、オウム信者だった過去は口外できるものではない。親しい人や職場の同僚に過去を隠し生きてきた菊地直子の17年間は、そのまま、多くの元信者たちの17年間でもある。

 私たちは、この社会にとって、一連の事件がどのような意味を持っていたのかきちんと清算したといえるだろうか。「知っている」と思っていた顔ですら全く別人だった菊地直子に「再会」するような思いで、5月8日にはじまった裁判をできる限り傍聴した。

 菊地が問われているのは、「殺人未遂幇助(ほうじょ)」「爆発物取締罰則違反幇助」である。地下鉄サリン事件後、教団は捜査を攪乱(かくらん)する目的で青島幸男都知事(当時)宛てに爆発物を送付し、郵便物をあけた男性職員が大けがをした。菊地は爆薬の原料の運搬に関わった。裁判の争点は、彼女が運搬した薬品の使用目的を知っていたか。菊地は「自分に化学知識はなく、幹部たちの命令に従っただけ」と無罪を主張している。

 裁判自体は爆薬の名前や化学記号の確認などに費やされ、雑な言い方ではあるが地味だった。日に日に傍聴希望者が減っていき、退廷する傍聴人から「つまんないね」という声が聞こえることもあった。

 確かに「刺激的」な裁判ではなかった。菊地はほとんど表情を変えず、ひっそりと、という感じで被告人席に座っていた。元信者たちが彼女に不利にあたることを証言しても動揺する様子はなく、時折ノートにペンを走らせるだけ。指を失った被害者が証言台に立った時も表情は変わらず、見ようによっては「反省していない」ように受け取られかねないものだった。

 唯一、思いのようなものを感じたのは、被告人質問で、「世界記録達成部」(様々な分野で世界一を達成するためにつくられた部)について話した時だ。

 菊地は、毎日40キロを、時には10キロの重りをつけて走ったという。「あなたの記録は、世界記録から50分近く離れていたが?」との弁護士からの問いに、「無理だと諦めたら達成できない。0.1%の可能性しかなくても、努力することで、1%、2%と可能性が増えていく」とキッパリと答えていたのが印象的だった。それはまるで、学生時代の思い出を語るかのように、楽しそうですらあった。 

 私が出会ったMさんは、「オウムではみんなが口癖のように『頑張ろう』と言ってた」と言う。例えば裁判で証言台に立った井上嘉浩死刑囚の口癖は「頑張りましょう」だったと。井上は菊地が爆薬の原料を運ぶ時に、「頑張ります」と言ったことを根拠に「(菊地は)目的を知っていた」と証言したのだが、そのことを新聞で読んだMさんは、思わず笑ってしまったと言った。

「あの頃の私たちには、『頑張ります』しか言う言葉がなかったんですよ」

 自分の意見を持つことはもちろん、感情を持つことも悪であり、たとえ景色を見ても「美しい」と感じてはいけない修行生活だった。富士山の麓に築かれた巨大サティアンで暮らしながら、Mさんは「富士山をきちんと見たことがなかった」と語った。窓一つない生活空間には、コスモクリーナーと呼ばれる巨大な鉄の箱が置かれており、それが「空気清浄機」だと言われていた。殺生が禁じられているので、ネズミやごきぶりが走り回っていた。食事は1日1回タッパーに入れられた味のないパンやラーメンが配られるだけ。たとえ腐っていたとしても、そこに囚われるのも、修行が足りないためである。そんな生活を送りながら、誰もが思考停止し、前向きに「頑張っていた」のだ。

 菊地が何を知っていて、何を知らなかったのかは私には分からない。が、いつからか自分の頭で考えることを完全に止めてしまったのは確かなのだろう。

 例えば、「何故逃亡したのか?」という、菊地という人柄を知るのに最も重要と思われる弁護人の問いに、彼女はこう答えていた。

「林(泰男)さんに『じゃ、行こうか』と言われたので、ついていきました」と。

「じゃ、行こうか」という男の一言に、「ついて」いった結果が、今だ。その逃亡がその後17年間も続くなど、菊地自身想像もできなかっただろう。

 それにしても、裁判を傍聴しながら、私は不思議な感覚に囚われ続けていた。それは元信者たちが教団での生活や教義について証言している時に、どうしようもなくわき上がる感情だった。95年、サリン事件が起きた時、私にとってオウム真理教は「カルト」にしか見えなかった。変なヘッドギアつけて、変なお面をかぶって、変な服着て、変な教祖を信じきっている気の毒な人たち……。どこかで、そう突きはなして考えていた。それが、2014年の今、日本社会に身を置きオウム裁判を傍聴していると、とてもじゃないがオウムが過去の物語、カルト集団の戯言、とは思えなくなっていたのだ。

 例えば、「ポア」について元信者たちが証言した時のことだ。「ポア」とは「意識を高い状態にひきあげる」ことで、「殺人」も正当化できる教えだったと言われている。当然、殺生を禁ずる教義とは矛盾する。弁護士が元信者に問う。

「オウムが人を殺すことはあると思っていた?」

 元信者の男性が答える。

「思っていない」

弁「人殺しは正当化されると思っていたか?」

信「矛盾ではありますが、感覚として捉えていた」

 サリンの製造に関わった別の元女性信者は「ポアは、言葉だけだと思っていた」と答え、菊地は「机上の空論、たとえ話だと思っておりました」と明言していた。

 オウムでは疑念を持つことが禁止されていた。たとえリンチで殺される信者や、過酷な修行が原因で命を落とす信者がいても、誰も「あの人はどこにいったのか」とは聞かなかったという。 一部の上層部だけが情報を握り、ほとんどの信者たちは不確かな噂レベルの情報しか得られなかった。理性で考えれば矛盾することも、感覚として受容してしまう空気ができていたのだ。

 そして私には、その空気が、今の日本にどうしても重なってみえて仕方がないのだった。ポアについて語る元信者たちの揺らぎは、正に憲法9条と集団的自衛権行使容認の矛盾そのものに聞こえ、重要な情報を一部の者だけが握る現実は目の前にあり、疑念を持つことが許されず「頑張りましょう!」と背中を押し続けられる感じや、男社会特有の縦割り組織、「世界一」が大好きなリーダーに振り回され……。ちなみにオウムはまごうことなき男社会だった。女性性を否定し、修行すれば生理がなくなると言われ、食事をつくる係は「処女」、女性信者には「若くて美人」が求められた。

 傍聴しながら私は何度も、あれ? あれ? と戸惑い続けた。私は95年の当時よりも、ずっとオウム真理教の空気が分かっているのだ。なぜなら法廷で語られるオウムの空気が今の日本の空気と、とても、似ているから。20年前は「カルト」だと思っていた世界が、なぜこんなにも身近に分かるようになってしまったのか。

 Mさんは、仲間が“消えて”いくなど、教団が“犯罪”に関わっていることを、当時から何となく感じていたという。それなのに疑念を封じ込め、自分が高い世界に行くために修行をしてきた過去の清算は、一人では整理できなかった、と話した。過去の自分を客観視するためにも、元信者どうしで集まり続け、言葉にしていく作業をしてきた。元信者が集まるだけで危険視する人もいるが、同じ体験をした者どうしでしか癒やせない傷がある。そういう経験があった上で、ようやく「オウムだった自分」を最近になって語れるようになったという。
 それでは、菊地直子はどうだったのだろう。彼女は、「オウムだった自分」を、どう見つめているのだろう。裁判では教団で受けたイニシエーションについて質問されても「喋ってはいけないことになっている」と語らず、サティアンでの思い出を懐かしそうに語り、被害者を目の前にしても表情を変えなかった菊地に、「オウムだった自分」はどのように見えているのか。

 そしてそれは、私たち自身にも、返ってくる問いではないだろうか。地下鉄サリン事件から19年。私たちはオウムが引き起こした事件から、何を学ぶべきだったのか。それを問わなければ、一連のオウム事件を、私たちは過去のものとして語ることすらできないのではないだろうか。

これは、もしかして。。

>菊地は、毎日40キロを、時には10キロの重りをつけて走ったという。「あなたの記録は、世界記録から50分近く離れていたが?」との弁護士からの問いに、「無理だと諦めたら達成できない。0.1%の可能性しかなくても、努力することで、1%、2%と可能性が増えていく」
それでは、中国メディアが北朝鮮サッカーチームに密着したニュースをどうぞ。
<ニコニコニュース>北朝鮮サッカーの“本当の姿”、中国メディアが代表チームに密着。(ナリナリドットコム 2014年2月16日)
男女ともに実力を伴いながらも、謎のベールに包まれているサッカー北朝鮮代表。中国メディアはこのたび、そんなサッカー北朝鮮代表の女子チームに密着、練習の様子やチームの雰囲気などを事細かにレポートした。

これは2月11日から15日まで中国・重慶で開催された4か国(中国・北朝鮮・ニュージーランド・メキシコ)対抗の国際大会に出場している北朝鮮女子代表に地元紙記者が密着したもので、報じられた内容は練習の様子、移動のバスの中の雰囲気、選手の持ち物など多岐にわたっている。

まず、練習に向かう移動のバスの中では、北朝鮮のほとんどの選手は無言。ただただ車窓の風景を眺めていたという。また、バス乗車時は監督らスタッフを最優先し、選手たちはみな最後に乗車、ミーティングでも監督が去った後に選手はその場を後にした。

選手たちは移動のときだけでなく、ホテルでの食事中も物静か。洗濯場には洗う服がきれいに畳んで置かれており、この光景を目撃した記者はすでに洗い終わった服と勘違いしたほどだった。

北朝鮮代表の荷物が他のチームと比べて明らかに少なかったことも伝えている。選手がはいているスパイクのブランドは多様で、アディダス以外にもアンタ、UCANなどといった中国ブランドのスパイクをはいている選手も。大会初戦を終え、選手たちが街をぶらついた際には、20分もしないうちに選手たちはホテルに戻ってきてしまい、実際に買い物をしたのは監督のみ。監督は掃除機と電気ストーブに関心を示し、最終的に140元(約2,400円)の電気ストーブを購入した。ある選手は洋服に興味を示したものの、値段を通訳から聞かされると残念そうにその場を立ち去ったという。

北朝鮮の選手たちがパソコンやタブレットを誰一人として持っていなかったことも興味深い。監督もパソコンは持っておらず、北朝鮮側の通訳は常に中国側の通訳のパソコンを借りて自国との戦況報告などのやり取りをしていたそうだ。

また、北朝鮮代表は、ほかのチームがまだ眠りについている朝7時に体操とジョギングを選手たちに課していた。朝食を食べるのはその後。記者が監督に「なぜ北朝鮮女子代表はここまで強くなれたのか?」と質問を投げかけると、「秘訣は何もない。訓練の賜物だ」と答え、「(以前よりも弱くなった)中国女子サッカーは練習が少な過ぎる」とも述べている。

北朝鮮代表の監督はとても厳格だったそうで、選手たちが要求に答えられないと罵倒することもしばしば。中国の監督とは大きく異なり、練習時間もほかのチームが1時間で済ますのに対し、北朝鮮代表はそれよりも長く練習に費やしていたという。

北朝鮮サッカー協会の副事務総長によれば、現在、北朝鮮の女子サッカーには3つのディビジョンが設置されており、ファーストディビジョンには14チームが加盟している。女子選手はみなアマチュアで、軍人や警官、大学生、会社員など職業は多種多様。試合前に集合して練習をこなし、試合が終わるとまたそれぞれの職業に戻るそうだ。なお、選手たちの給料に関してはノーコメントだった。

まさか、朝7時からジョギングして「今の可能性は低くても、練習すれば可能性は高くなる」とか言われてそう。

>自分の意見を持つことはもちろん、感情を持つことも悪であり、たとえ景色を見ても「美しい」と感じてはいけない修行生活だった。
…ん?思想の自由がないってコト?
「この国は国民の飢餓を統治手段に利用してきた」(MSN産経ニュース 2014年2月21日) 
『北朝鮮では表現や結社の自由などと並び思想、良心、信教の自由がほぼ完全に否定されている。最高指導者への絶対服従のため幼児期から洗脳が行われ、独自の思考は排除される。』(一部抜粋)
ほら。思想の自由がないってところは北朝鮮に似ていますね。

>富士山の麓に築かれた巨大サティアンで暮らしながら、Mさんは「富士山をきちんと見たことがなかった」と語った。窓一つない生活空間には、コスモクリーナーと呼ばれる巨大な鉄の箱が置かれており、それが「空気清浄機」だと言われていた。殺生が禁じられているので、ネズミやごきぶりが走り回っていた。食事は1日1回タッパーに入れられた味のないパンやラーメンが配られるだけ。たとえ腐っていたとしても、そこに囚われるのも、修行が足りないためである。
…北朝鮮では、食事の配給は1日1回あればいい方らしい。
<内部記者報告>北朝鮮の食糧事情を探る(1) 飢える兵士の告白「半数が栄養失調です」(アジアプレス・ネットワーク 2011年8月26日)
◇「春には部隊100人のうち、50%が栄養失調に」
3月、平安北道のとある地域を訪れた私は、士官学校生を表す襟章を付けた兵士2人に声をかけた。徴兵制を敷く朝鮮では、兵士が部隊に所属しながら士官学校に通う制度がある。卒業生はまず下士官になる。26歳と29歳だという二人の兵士は、所属する部隊の食糧事情について尋ねる記者に対し、訥々と語り始めた。なお、この撮影は取材であることを明かさない隠し撮りで行われた。
金:食事はとっているのか?
兵士1:はい、食べてきました。
金:(軍では)どんな食事が出るんだ?
兵士1:トウモロコシご飯です。
金:量はどれくらい?
兵士1:それは...見栄えは、「盛り」はいいですよ
金:それでも体が弱って見えるな。大変だろう?
兵士1:つらいです。

北朝鮮ではカエルやネズミを殺して食べるらしいけど、オウムは「殺しちゃいけない」という掟がある。
そりゃかなわんな。

>オウムでは疑念を持つことが禁止されていた。たとえリンチで殺される信者や、過酷な修行が原因で命を落とす信者がいても、誰も「あの人はどこにいったのか」とは聞かなかったという。 一部の上層部だけが情報を握り、ほとんどの信者たちは不確かな噂レベルの情報しか得られなかった。理性で考えれば矛盾することも、感覚として受容してしまう空気ができていたのだ。
…北朝鮮では、公開処刑が一般的に行われているらしい。
公開死刑を見て気が狂う囚人たち
ある家族全員の公開処刑
管理所の元警備隊員 崔東哲氏による報告

 1985年7月、国外逃亡を試みた5名からなる家族が、3日後管理所内の山の中で捕まりました。 祖母とその息子と3人の孫からなる家族で、その後、河岸に収容者全員が集められ、武装警備隊に取り囲まれておりました。 マシンガンが四隅に配置され、10歳にも満たない3人の子供達が撃たれるかたわら、祖母と彼女の息子が吊るし首にされたのです。 彼らの死体は横たえられ、藁の敷物で覆われておりました。

見せしめの為、収容者達はみな脇を通る傍ら処刑された家族をよく見て行くように指示されたのですが、その時囚人の一人が死体の1つに石を投げたのです。 するとすぐに他全員の囚人達が石を投げ始めたのです。それはとても恐ろしく凄惨を極める光景でありました。 収容者達は自分達が石を投げないことで受ける処罰を恐れていたのです。
〜(中略)〜
 ある日、何の説明もなく学校が休校になったので、妹と私はとても喜び、午前中ずっと寝ておりました。午後3時ぐらいに目覚めた時、3人の収容者が逃亡したとの話を聞かされ、その夜、私の父と叔父が家に帰ってきた時に私は2人に逃亡者がその後どうなったのかと尋ねたのですが、二人とも口を噤んだままでした。(一部抜粋)

…連座制(連帯責任)で自分も殺されるかもしれない、と恐怖に陥れば、そりゃ不確かな情報で納得しちゃうわな。

被告は、管理人と同じ42歳。
この年齢だから「オウムやばい」と解るけど、
もし、若かったら解らなかったかもしれない。




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posted by akibacchi2980 at 03:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 裁判員やりたい。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする