2015年09月21日

尼崎連続変死事件3被告に判決、裁判員裁判140日!

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尼崎連続変死 三枝子被告ら3人に懲役21年 神戸地裁判決(神戸新聞NEXT 2015年9月16日)
 尼崎連続変死事件で、角田美代子元被告=自殺時(64)=の親族3人に対する裁判員裁判の判決公判が16日、神戸地裁で開かれた。増田耕児裁判長は義妹三枝子被告(62)、養子で長男健太郎被告(33)、内縁の夫鄭(てい)頼太郎被告(65)のそれぞれに懲役21年(求刑各懲役30年)を言い渡した。3件の殺人罪のうち1件は「死亡に直結する行為にほとんど関与していない」として傷害致死罪にとどまるとした。

 3被告は、2005年7月に沖縄の崖で転落死した角田久芳さん=死亡時(51)、マンションベランダの物置で08年12月に死亡した仲島茉莉子さん=同(26)、11年7月にベランダ物置で死亡した橋本次郎さん=同(53)=への殺人罪など計九つの罪に問われた。裁判員の選任期間は140日間で、09年の制度導入以降最長となった。

 判決では、次郎さん事件で3被告が、元被告らによる緊縛や暴行の具体的状況について「数日のうちに死ぬ危険の高い行為であったと認識していたといえず、殺意は認定できない」と結論付けた。

 ほかの2件の殺人罪では「久芳さんが死から逃れられない状況を作った」「茉莉子さんへの虐待を止めたり、角田家から抜け出したりせずに犯行の一翼を担った」などと指摘して殺意を認定。一方、量刑理由では「絶対的な存在の元被告の意向に逆らうことは相当困難。3被告の関与は従属的で、犯行に至った経緯には一定の酌量の余地もある」と述べた。

 判決を受け、茉莉子さんの父(63)が「元被告の分まで罪を償うべきことを心に留め、刑に服してもらいたい」とコメントを出した。

懲役30年や死刑にはならなかったな。
ちなみに、懲役30年というのが有期懲役の最長だそうです。
懲役21年って、意外と短いような。。。
しかし、特筆すべきは裁判員裁判の期間が

140日であったこと!

何はともあれ、おつかれさまでした〜!

角田瑠衣被告の初公判が10月14日に行われます。まだ裁判はつづく。。

神戸新聞NEXT特集:尼崎連続変死事件公判






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素材屋じゅん
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2015年03月29日

裁判員はやった方がいいらしい。。

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裁判員裁判が始まってもうすぐ6年目に突入しますね。
もう「裁判員やったことある」人が知り合いにいる!って人もいるかもしれません。
そんな裁判員経験者にいろいろ聞いてみたネット記事を見つけました。

裁判員をした友人に裁判員制度の流れとか詳細を聞いてみた(941::blog 2014年10月3日)

その友人さんの話によると、
「裁判員はやった方がいいらしい」
「仕事の都合で辞退はできない」
などなど、一度は読んだ方がいいんじゃないかと思うんじゃないかと。
それから、事件の管轄は「関東圏は一緒みたい」って何だ?
東京在住の人がさいたま地裁の裁判員裁判を担当することもアリってことか?




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posted by akibacchi2980 at 12:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 裁判員やりたい。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月22日

宮崎地裁の家族3人殺害事件 被告の死刑確定

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宮崎の家族3人殺害 奥本被告の死刑確定へ(YOMIURI ONLINE 2014年10月17日)
 宮崎市で2010年、妻子と義母を殺害したとして殺人罪などに問われ、1審の裁判員裁判と2審で死刑判決を受けた無職O.A被告(26)に対し、最高裁第1小法廷は16日、上告を棄却する判決を言い渡した。死刑が確定する。山浦善樹裁判長は「家族から自由になろうという身勝手な動機で、子どもを浴槽に沈めて窒息死させるなど犯行態様も残虐だ」と述べた。

 裁判員裁判の死刑判決が最高裁で確定するのは2例目。1、2審判決によると、O被告は10年3月、同居の義母(当時50歳)の叱責などに嫌気がさしたことなどから、自宅で寝ていた長男(同5か月)を殺害後、妻(同24歳)と義母をハンマーで殴り殺した。上告審では、1審で死刑を求めた遺族の一人が「死刑を望まない心境に変わった」とする上申書を提出。弁護側は「裁判員裁判をやり直すべきだ」と主張したが、判決は上申書には言及しなかった。黒原智宏弁護士は「現在の遺族感情が考慮されなかったのは残念だ」と話した。

評議でも考えられた「永山基準」
この「永山基準」は9つのポイントがあり、、、
(1)犯行の性質、(2)動機、(3)態様(殺害の手段方法の執拗性・残虐性)、(4)結果の重大性(殺害された被害者の数)、(5)遺族の被害感情、(6)社会的影響、(7)犯人の年齢、(8)前科、(9)犯行前後の情状。
判決では、以上全てを考慮したうえで、罪と罰のバランスや、犯罪予防という観点からも、極刑がやむをえないと認められる場合には、『死刑の選択も許される』という判断が示されたのです。
これが、『永山基準』です
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しかし、いくら条件に合致してるからって、裁判員が死刑判決を出すのは相当の勇気が必要だったでしょう。
ある裁判員は被告が控訴したとわかったら「ほっ」としたらしい。

O被告に死刑が確定になるまで約4年半。
被告は今。。?
<47NEWS>【宮崎市の家族3人殺害事件】傍聴席から見えなかったもの(共同通信 2012年7月13日)
「義母から逃れたかった」 被告が明かした犯行動機
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 宮崎市で2010年3月に起きた、O.A被告(24)が、生後間もない長男と妻、義母の家族3人を殺害した事件。

 福岡高裁宮崎支部は今年3月、O被告に一審宮崎地裁の裁判員裁判に続き、死刑判決を言い渡した。

 一審から傍聴を続けるうちに、被告が自分の思いをうまく言葉に出来ていないように感じた記者が、被告との文通と面会を繰り返し、法廷では見えなかった動機や事件の背景に迫る。


 なぜ3人を殺したのか。宮崎刑務所の面会室。その問いに透明な板の向こうで、O.A被告(24)は言った。
 「あのとき義母から逃れる方法は、それしかなかったんです」
 2010年3月に義母I.Tさん=当時(50)=と妻Kさん=同(24)、生後5カ月の長男Yちゃんの3人を殺害した罪などに問われたO被告。一審宮崎地裁の裁判員裁判の判決は、犯行前後に出会い系サイトに興じるなどしたO被告を強く非難、殺害動機を「自由で1人になりたいと考えた」と認定し、死刑を言い渡した。
 それだけで3人も、なぜ―。その疑問にO被告は繰り返した。「義母から逃れたかった」と。
 判決の認定によると、O被告は09年3月、Kさんの妊娠を機に結婚し、宮崎市内で義母と同居。やがて、感情の波が激しかったという義母からの叱責(しっせき)が始まる。
 「Yの抱き方が悪い」「若いのに寝るな」
 貯金がなく、結納と結婚式を見送った後から義母の怒りが自分に向いたとO被告には思えた。
 事件6日前の深夜。義母は、仕事から帰宅したO被告の頭を何度も殴った。「あんたの両親は何もしてくれん」。そして、故郷を侮蔑する言葉を言った。「音を立てて、何かが壊れて…。もう限界だった」
 殺害した妻子への感情を一審の被告人質問で問われるたびに「愛していた」と答えた。しかし家庭内では、育児を通じて義母と妻子のグループができ、家での居場所はないと感じていたという。
 「親子3人で暮らしたかった。ただそれだけです」。でも、それはかなわない。ならば―。
 裁判員に説明しようと思った。だが、被告人質問では多くの質問に「分からない」と答えてしまった。「『分からないなら、分からないでいい』と言われていたので、すぐに答えられない質問は全部『分からない』と答えたんです」。判決を読んで、一審をやり直したいと思ったという。
 福岡高裁宮崎支部の控訴審で実施された心理鑑定で、ベテランの臨床心理士は、O被告の心をこう描いた。
 「義母の叱責と生活苦、睡眠不足で心身が極度に疲弊し、短絡的になりやすかった。義母と妻子が一体で、O被告だけ別世界にいるような孤独を感じていた」
 O被告も「ずっと言葉にできなかったことが、ここには書いてある」と感じた鑑定書。22日の控訴審判決は、その内容をほとんど受け入れ、O被告の反省も認めた。
 しかし、結論は同じ死刑。動機の認定は変わらず、特にKさんとYちゃんの殺害を「いわば理由なき殺人にも匹敵、強い非難に値する」と断罪した。

2/3我慢ばかりで本音言えない コントロール超えた衝動共同通信 2012年7月21日 47NEWS
 宮崎刑務所の独居房は、隙間風が入り込む、白い壁に囲まれた4畳。ここに来て、気付いたことがある。「昔から我慢ばかりして、僕はいつの間にか本音が言えなくなっていた」
 1988年2月、福岡県で生まれたO.A被告(24)。3人兄弟の長男で、棚田が広がる山の麓で18歳まで過ごした。
 幼いころから、気が弱かったという。「もめ事が嫌いで自分から謝るほうだった。人に好かれたくて、周りに合わせて我慢することが多かった」
 小学校から高校までは剣道一色の生活だった。稽古では、しごかれていつも泣いていた。辞めることばかり考えた時期もある。しかし、剣道の推薦で高校に進学、主将を務めるまでになった。
 O被告の実家の家族は「反抗期らしいものはなかった」と振り返るが、それは、イライラを人前で隠していただけだった。小学校高学年のころは我慢できないときに棒で石をたたいた。その後、感情を抑えられなくなったことは記憶にない。
 福岡高裁宮崎支部の控訴審で実施された心理鑑定の報告書は、情緒面をこう分析したという。
 「普段は外からの刺激に節度を持って対応できる。しかし、衝動を抑圧しているため本音を出せない。衝動を小出ししないため、コントロールできなくなったときの耐性は訓練されていない」
 義母I.Tさん=当時(50)=と妻Kさん=同(24)、生後5カ月の長男Yちゃんの3人との同居生活は、O被告にとって我慢の連続だった。義母に叱責されても謝り続けた。「お金がなくて、結納や結婚式ができなかった自分が悪いんだ」と。
 働き手は自分一人で、家族のために仕事をするのが役割だと思っていた。でも、義母と妻子の「仲間」に入ることはできず、仕事が終わっても会社の近くに止めた車の中で深夜まで過ごし、出会い系サイトで知り合った女性にメールした。
 そして事件の6日前に義母が言った、故郷を侮蔑する言葉。もうコントロールできなかった。
 話し合えば良かったのではと、検事や弁護人に言われた。控訴審判決も「家裁への調停申し立てなど解決方法を探る手だてがあったはずだ」と指摘した。しかし、当時のO被告は気持ちを表現する言葉を持っていなかった。「人と議論したことがなくて。どうしていいか分からなかった」
 妻子と3人で暮らし、公園でYちゃんとキャッチボールをするのが夢だった。「1人で解決できると思って一生懸命やったけど、僕には、そんな力や知識がなかった」

3/3短い審理、息苦しい法廷 「思いが伝え切れず」共同通信 2012年8月9日 47NEWS
 2010年11月24日、宮崎地裁の204号法廷。O.A被告(24)の裁判員裁判は5日目を迎え、検察側の被告人質問が行われていた。

 「出会い系サイトで知り合った女性とメールするくらいなら、妻に連絡しようと思わなかったんですか」
 「…」
 「分からないなら、分からないでいいですよ」
 「はい分かりません」

 家族3人を殺害した動機や、当時の状況を問われたO被告は、何度も「分かりません」と繰り返した。本当に分からない質問もあった。しかし、検察官が時間を気にしていることに気付き、即答できなければ「分かりません」と答えた。
 O被告の目の前には、裁判員6人と裁判官3人が並ぶ。背後の傍聴席は満席だった。
 「息苦しくて、証言台では足がガクガク震えた。弁護人も厳しい顔で質問するので、味方は誰もいないような感じで、早く終わってほしかった」
 午前から夕方までの約5時間。検察側と裁判所側からの質問は、計1400を超えた。
 拘置施設に入って以来、人と話す機会も減っていた。「話すのが久々で、頭が回転しなかった部分もあったと思う」とO被告。弁護人には、疲れ切っていたように見えた。
 初公判から求刑まで6日間だった一審宮崎地裁の裁判員裁判。O被告には「時間も短く、思いを伝えきれなかった」という思いが残っている。
 09年に裁判員制度が導入され、刑事裁判は調書など書面による証拠よりも、法廷での証言や供述を重視するようになった。同時に裁判員の負担を考慮、短時間で集中的に審理するようになった。
 元東京高裁判事の村上光鵄(むらかみ・こうし)弁護士は「裁判員裁判で被告の弁解の時間が十分取れないとすれば、構造的問題。重大事件の被告が未熟で意図を表現できない場合、プロの裁判官より審理に時間をかけ、話しやすい雰囲気をつくるべきでは」と話す。
 福岡高裁宮崎支部の控訴審判決は、O被告の「分からない」について、「答えられないのがやむを得ない質問もあり、反省していないと評価するのは相当ではない」としつつ「過大には評価できない」と述べ、一審判決を揺るがす要素とは認めなかった。
 独居房で毎日、事件のことを思い返す。3人の冥福を祈り写経。仏教を学ぶことで、償いになればと考えている。
 最近、文章の書き方に関する本を読み始めた。「気持ちをうまく言葉にできるようになりたくて」。それが願いだ。

O被告(じゃなくてO死刑囚だけど)は、文章の書き方がうまくなりたい、と、まだ成長しようとしてるんですね。意外です。





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ちっちゃい素材屋さん
posted by akibacchi2980 at 01:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 裁判員やりたい。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする