2014年06月11日

オウム菊地被告、結審

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<Yahoo!ニュース><オウム菊地被告>「爆弾でテロ行為、認識」懲役7年求刑(毎日新聞 2014年6月9日)
 オウム真理教による東京都庁爆発物事件(1995年)で爆発物取締罰則違反と殺人未遂のほう助罪に問われた元信者、菊地直子被告(42)の裁判員裁判が9日、東京地裁(杉山慎治裁判長)であった。検察側は論告で「爆弾により人を殺害するテロ行為との認識に欠けるところはない」と主張し、懲役7年を求刑した。弁護側が午後の弁論で無罪を求めて結審する。判決は30日に言い渡される。

 検察側は論告で爆発物事件の目的について、地下鉄サリン事件で本格化した教団への捜査をかく乱し、元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(59)の逮捕を防ぐためだったと指摘。爆弾の原料となる薬品を運んだ被告の役割を「犯行遂行に必要不可欠で、薬品を隠して運ぶなど積極的に関与した」と述べた。

 「運んだ薬品が原料とは知らなかった」とする被告の主張に対しては、被告が94年7月から約9カ月間、化学兵器などの実験棟で作業した点を重視し、「被告は爆薬の製造に関与したことがあり、薬品の管理を通じて爆薬の原料が大量にあることを認識していた」と反論。「後からつじつまを合わせるために考えた苦しい弁解」と厳しく指弾した。

 また、17年にわたった逃亡を「まだ事件が起きるのではないかとの恐怖や不安を社会に与え続けた」と指摘。「被告は事件と真正面から向き合っていない。責任を逃れようとすることは断じて許されない」と述べ、ほう助罪の上限(事件当時は懲役7年6月)に近い刑を科すべきだとした。

 論告に先立ち、5月29日に東京拘置所で行われた非公開の証人尋問で、土谷正実死刑囚(49)が「被告に化学的知識があったとは思えない」などと述べた証言の要旨が読み上げられた。最終弁論で弁護側は「化学的知識はなかった」などと無罪主張する見通し。

 起訴状によると被告は95年4月下旬、5回にわたり山梨県の教団施設から爆弾の原料となる薬品を東京都内のアジトに運び、教団元幹部の中川智正死刑囚(51)らが小包爆弾を製造するのを手助けしたとされる。開封した都庁職員が大けがをした。

 ◇検察側、直接証拠は出せず

 検察側は論告で、被告が作業をした実験棟での出来事を、元信者の証言から列挙した。間接証拠を積み上げて「被告には薬品の性質や用途を判断する能力があった」と証明し、薬品が事件に使われることを認識していたと裏付ける狙いがある。

 公判では12人の元信者らに証人尋問が実施された。薬品の運搬を被告に指示した中川智正死刑囚は「用途は説明しなかった」と述べ、被告の無罪主張に沿う内容の証言をした。19年前の認識を直接証明する証拠は提出されなかった。

 一方、被告と一緒に実験棟で作業した元信者5人は▽94年秋、被告のいる場で爆薬の製造実験が行われた▽95年1月、サリンの中和作業で被告に中毒症状が出た−−などと証言した。検察側はこれらの間接証拠から「証明十分」と自信を見せるが、記憶が薄れていた証人も多く、簡単な立証ではない様子もうかがわせた。

 一方、菊地被告は被告人質問で、元信者らの証言を「記憶にない」と否定。「実験棟では雑用を任されただけ」などと述べ、知識は乏しかったと反論した。

検察は間接証拠のみ。
被告は運び役をやっただけである。
、、、、
う〜ん、
裁判員は、難しい判断を迫られそうです。




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posted by akibacchi2980 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 裁判員やりたい。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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